主張すべきことは主張する、いつでも毅然とそして礼節を忘れない国へ

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ご挨拶
■礼の宇宙について
タイトルは宮城谷昌光さんの小説「子産」の中から頂きました。
礼とは、宇宙の原理、原則だと考えて頂いてよろしいかと思います。
しかし礼の深淵の地にたどり着くのは非常に難しいものですね
■このブログで語られること
ここはそもそも黒羊の毒を吐き出す場所として、生まれました。 とりあえず、毒がいろんな方向に飛んでいきます。反日との戦いは継続中ですが、反日とは何かをまずおいおい研究していかなければなりません。少なくとも、日本の"サヨク"は、日本のためなんて考えていないと思います。 憲法9条は欺瞞だと思っており、実装に合わせて仕様を変更すべきだと思っています。 でも政治的や社会的な問題より、まず現実生活の問題点が多いですね。ということでよろしくお願いします。
■黒羊のお勧め




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はい、先に負け犬komichi氏の「がんばるな日本共産党」を取り上げました。そこのコメントにr氏が妄想を書き連ねているので突っ込みます。
異常に長いので、部分的に引用し反論してみたいと思います。

前提として、私は、宗教政治を切り離すのは大いなる矛盾だと思っています。むしろ政治=宗教だと考えてもいいくらいだと思っています。
ここで靖国の問題が浮かび上がりますが、私は「首相の靖国参拝」は大反対です。
その理由ですが…
日本国憲法に「政教分離」があるからです。
ただそれだけです。
靖国神社は「神様」を祀っているわけです。
目に見えないもの、その存在を肯定することも否定することも出来ない神学論争的存在。
要するに宗教の一つだからです。
「r」は政教分離は徹底させるべきだと思っていますので、すべての国家公務員(特別職含む)は無宗教であるべきだと思っています。
但し、絶対に宗教的排他主義に陥ってはならない、といった前提があります。
神仏にはそれなりに敬意を払うことって意味ですね。
これは信仰とは違うと思っています。


さて、もう既に混同が起こっています。政教分離とは、そもそもアメリカで言うところの、キリスト教の一宗派を優遇せず、全ての宗派を平等に扱うということですね。つまり、靖国参拝と政教分離は、全く関係ないです。
首相が先祖の墓にお参りするのもだめだとでもいうのでしょうか?
それ以上に、小泉さんは、伊勢神宮に毎年閣僚とお参りするのですがこれにツッコミはありませんよね?靖国は、NOでも神仏に敬意を払うのはOKというのは論理破綻ですよね。神仏に敬意を払うことは宗教的行為に他なりません。
全ての国家公務員が無宗教と言う名の宗教を信仰していていいのか?あのねえ、誰が何を信仰しようとそれは自由なんです。それを他人に押し付けてはいけないと言うだけの話です。無宗教であれと他人に押し付けるのはファシズムの一つですよね。それこそ排他主義ですね。

宗教とは「小泉前総理が仰るように心の問題」なのです。
だから、「政治利用」は決してしてはならないのです。
だから、政教分離であるわけです。
小泉前総理も野党も、そしてマスゴミも靖国を政治利用してきたわけですね。
だからこそ政教分離の徹底が必要なわけですね。
補足ですが、宗教団体の政治活動も禁止すべきだと思っていますよ。
だってそうじゃないですか。
「心の問題」をそのレゾンデートルにしている組織が政治を行うと、軋轢を生むし井伊ことがないですからね。
宗教は共存共栄すべきだと思っていますので他宗を否定するような状況を作らないためにも宗教団体の政治活動は規制ではなく禁止すべきだと思っています。


ここらへんも先に引用した部分とかなり異なりますよね。
宗教団体の政治活動を禁止すべきだというのは、確かにその通りなんですが、宗教は共存共栄すべきだというのは、一神教にとっては容易ならざる言葉でありますね。共産主義って言うのも一種の一神教だと思うんですよ。おそらくr氏が一番嫌う排他主義だと思いますよ。

さて…
自民党を否定しました。
宗教政党も事実上否定しました。
で、何処の政党がいいのか?
私としては全野党が細部の矛盾を止揚して結束すべきだと思っています。
国民新党~共産党まで。
掲げる政策は「新自由主義の否定」
これだけです。
昔から自民党自体、左派から右派カルトまで混在していたのですから、それらの矛盾より
国民新党と共産党の違いは小さいでしょう。
特に地方自治に関してはそうでしょう。


はあ?前もそうでしたが、r氏の論理展開は無理があります。
>掲げる政策は「新自由主義の否定」
これは、全くだめなんじゃないですか?それだけ大所帯の野党連合の政策が何かの否定って淋しくないですか?
いや根本的に共産党と国民新党が連立して何やるのよって話もあるんですがね。何かの否定じゃ、今までの野党の歴史となんら変わりないじゃない。
細部の矛盾が小さいが、根本が違いすぎると思うですよ。

でも、全野党が止揚して結束したら困る連中がいるんですよね。
「アメリカ」とそれでメシ食ってる売国奴連中なんですよね。
だからマスゴミ使って野党を分断しようとするのですね。
その件に関する私の文章は喜八さんの「喜八ログ」にありますからお暇ならお読みください。
それから、仮に全野党が結束して自民党を政権から引き摺り下ろして政権を獲ったらどうするか?
野党連合政府が、売国を始めたらそれはそれで私は批判非難しますよ。
だってそうじゃないですか。
私は日本人であり日本国民なんですから。
何で他所様の国に売国しなきゃいけないんですか。
そして何でそれを容認できるのですか。


私にはr氏が日本人とはとても思えないです。
それも相変わらず売国先がアメリカアメリカって、アホですか?
私に言わせれば、今はアメリカの属国ですよ。売るとか売らないとかの前にね。
日本をまず普通の国にして、属国から独立するのが先ですよ。
なのに中国やロシアや朝鮮半島に、国を売りまくる連中がいるから、腹が立つんですよね。
普通の国になって、独立するために、9条改正して、核兵器またはそれ以上の武器を持つべきだと私は思いますよ。
r氏が、日本を共産主義に変えたい気持ちがさっぱりわかりませんが、まあそうしたいんだなと理解しますね。

ところで今後の注視すべき点を列挙します。
1:前原の今後の動向
>対米売国推進勢力の保険である前原一派がどのような行動を取るか牽制すべきです。
旧自民党の岸系列と現民主党の前原系列は同じニュアンスと考えるべきでしょう。
沖縄県知事選は米国と小泉安倍にとって負けるわけにはいかない選挙。
必ず何か仕掛けてきます。
そして来年の参院選。
小泉と前原は必ず何かを仕掛けてきます。
2:郵政造反組復党報道
>全国紙とその配下のテレビキー局は米国とその傀儡小泉安倍の味方です。
必ず何かを仕掛けてきます。
3:高校履修単位問題とイジメ報道。
>教育基本法改正に引っ掛けて報道しているのは間違いありません。
国鉄民営化の時に国労を弾劾し続けたのと同じように日教組と官公労をマスゴミは攻撃するでしょう。
私は日教組と官公労が好きではありませんが、少なくとも今の自民党よりは「遥かに国民に近い存在」です。(機種依存文字だけ改変しましたby黒羊)



1:岸信介に関して言えば、決して彼は、アメリカよりの人間ではないです。むしろアメリカに対し相当の憎しみを持っている人間でしょうね。それと反共産とはまた別の問題ですね。で前原についてですが、彼は民主党の中ではまともな方ですよ。馬鹿ですけどね。小沢や菅や鳩山に比べるとよっぽど、マシですね。
2:自民党が、造反組を復帰させることに私は別に興味ないのであれですが、それに対する審判は国民が下すだけの話ですね。
3:日教組が国民と近い存在だなんて全く思えないですが、その意見に対するツッコミはおしょうさんに任せます。

結局r氏の主張を見ると全く以って建設的なものが一つもないです。で新自由主義に関してですが、はっきり言って私も反対ですが、共産主義の悪平等に比べたら遥かにマシですね。
郵政民営化も反対だから、自民党に前回の衆院選挙は投票せず、白票にしましたよ。白票にした、原因の一つは、小泉さんが、15日の参拝を回避したこともありますし、何よりそれに代わる政党がないのですよ。
日本の悲劇は、自民党に反対する党はいるけど、自民党にとって代わることができるほど、しっかりした考え方を持つ、党がないことです。
まあ、本当に政治に不満があるのなら、やはり自ら撃って出るべきですね。私も、そのうち考えたいなあなんて思ってますよ。
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人の性は悪にして、其の善なる者は偽なり。今、人の性は、生まれながらにして利を好む有り。是に順う、故に争奪の生じて辞譲は亡ぶ。生まれながらにして疾(=嫉)悪有り。是に順う、故に残賊の生じて忠信は亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。是に順う、故に淫乱の生じて礼義文理は亡ぶ。然らば則ち人の性に従い、人の情に順えば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有り、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰さん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかならん。其の善なる者は偽(=人為)なり。


この前は、孟子の性善説の基礎の部分をとりあげましたが、今回は荀子の性悪編について少し。哲学と言うと身構える方も多いですが、実際に呼んでみるとそんなに難しいことはないです。しかも中国の古代哲学日本人の思想の中に息づいてるので理解しやすいかと思います。
書物としての「荀子」は20巻からなります。以下の書き出しで始まるので有名です。

青取之於藍
而青於藍
冰水爲之
而寒於水


青は之藍より取りて、藍より青し
氷は水より之を為し、水より寒し
書き下し文を書けば、お分かりかと思います。
さて本題の性悪説ですが、荀子「性悪編」第二十六節より上記に引用しました。一行目から刺激的な表現ですが、人の本性は悪であり、善というものは、偽(後天的に作られる)ものである。この場合の悪は、現代日本語の「悪」とは異なっており、荀子は「人間には欲があり、その欲には際限がない」、その「際限ない欲を満たそうとすること」を悪と表現している。
人間は、そのままにしていたら、欲望のままになってしまう。それを悪と呼び、後天的な努力で分をわきまえると言うことを知る。その後天的努力とは学問である。学問をすることによって分をわきまえることを知るというのが性悪説の概要です。
つまり性善説と性悪説は、まるっきり正反対ではないのです。孟子は、人間は生まれもって、四端をもっており、それを発展させなければならないと訴えており、荀子は、人間はそのまま放置すれば、欲望のままになってしまうので学問をすることで、矯正すべきだと言っているのです。
ここには何があるかというと学校の意味が書かれていると言ってもいいかと思います。実は孟子も、四端を発展させるために、教育の必要性を訴えているのです。
ところで、荀子のこの考え方は法家によって引き継がれていきます。礼を補うものとしての法の考え方です。韓非子や李斯が荀子の弟子です。
教育基本法の改革には、まず学問とは何か、教育とは何かを徹底的に見直すべきだと私は考えます。

孟子曰、人皆有不忍人之心、先王有不忍人之心、斯有不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上、所以謂人皆有不忍之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有惻隱之心、非所以内交於孺子之父母也、非所以要譽於郷黨朋友也、非惡其聲而然也、由是觀之、無惻隱之心、非人也、無羞惡之心、非人也、無辭讓之心、非人也、無是非之心、非人也、惻隱之心、仁之端也、羞惡之心、義之端也、辭讓之心、禮之端也、是非之心、智之端也、人之有是四端也、猶其有四體也、有是四端而自謂不能者、自賊者也、謂其君不能者、賊其君者也、凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始逹、苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足事父母。


公孫丑章句上の一節を引用しました。
まあ何かと言うと「仁」と言う概念について言及されています。性善説の基礎の部分の説明です。
仁と言うものは惻隠の心に発する。では惻隠とは何かというと、簡単に言うと、かわいそうだと思うことであり、例文として、目の前で子供が井戸に落ちそうな瞬間にかわいそうだ、助けなければと思う心であり、その時に、その子の父母に取り入ろうとか、地元の英雄になろうとか、見殺しにした悪名を負いたくないとか考えないということが書いてあります。
このため、惻隠の心がないのは人に非ずとなっています。
同じように羞悪(悪を羞じる)の心がない、辞譲(人にへりくだる)の心がないない、是非(善悪を判断する)の心がないのも人に非ず。
仁とは惻隠の心に始まり、義とは羞悪の心に始まり、礼とは辞譲の心に始まり、智とは是非の心に始まる。
ここでいう礼とは、儀のことであります。本来の礼の意味は、子産の説明のところでも書いたように、もっと深遠なるものです。
続けます、この四端(始まり)があるのに、仁義礼智の道を行えないのは、自分を貶める者であり、君主に仁義礼智の道を行えないのは、君主を貶めるものだ。
四端を発展させていけば火が燃え広がるように、新しい泉から水が噴出するようにその道をずっと奥へ奥へと進んでいき、やがて天下を安んじることができる。発展させることが出来なければ、父母に仕えることすらできない。
と結ばれています。
哲学となるとうっと身構えるかもしれませんが、案外身近なものです。
「私は性善説だ」とか言う人もいらっしゃいますが、要するに、仁義礼智の端は生まれもって全ての人に備わっているということですね。

今回はまず、礼の宇宙へのアプローチとして、孟子の一節を紹介しました。次回は、性悪説について荀子を引っ張る予定です。
靖国神社について政教分離に反するとか言われているのだが、実際どうなのだろうか?
そもそも政治宗教を厳密に切り離すことは可能だろうか?

言葉から考えると政治はつまり政であり、政はまつりごとと読み、古代の中国では祭祀を司ることであった。
つまり極めて宗教である。これはおそらくどこの世界でも同じであろう。
例えば、アメリカの政教分離はあくまで、キリスト教の数ある宗派の中の特定の宗派を優遇しないということである。
では日本はどうなのか?
日本では古来自然崇拝の形があった。
その中で太陽信仰というのがある。その発展した形が天照大神であり、神道である。またそれとは別に仏教の思想というのも日本には根付いた。神道も、仏教も多神教であり、決して排他主義ではないため、どちらも受け入れることができる。

その歴史が続いた今でも日本人は、元旦に初詣に行く。神社にもお寺にも。これはもう伝統と習慣である。
日本の神社の中には歴史的な人物が神として祭られることが多々ある。
菅原道真公は、天神様として、天満宮に祭られる。
将門神社や、松蔭神社などもある。
これらをお参りするのは、伝統である。

神道や仏教と言うのは、日本人にとって、伝統と文化に根付いたものであるので、靖国神社に参拝するのも当然同じ部類に入る。

例えば、会社のビルの屋上にお稲荷さんがまつられていたりする。お稲荷さんが商売繁盛の神様であるからである。
日本人はゲンを担ぐ。これも伝統と文化である。日本の首相が、ゲン担ぎで髪を切らないことにしています、と言ったところで、誰も政教分離に反するとは言わないでしょう。

宗教政治だけでなく、全ての事柄で考えると言うことは哲学につながると友人から教わりました。というより考えることがすでに哲学ということでしょうか?

たまには皆さんも宗教政治について考えてみませんか?
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