主張すべきことは主張する、いつでも毅然とそして礼節を忘れない国へ

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ご挨拶
■礼の宇宙について
タイトルは宮城谷昌光さんの小説「子産」の中から頂きました。
礼とは、宇宙の原理、原則だと考えて頂いてよろしいかと思います。
しかし礼の深淵の地にたどり着くのは非常に難しいものですね
■このブログで語られること
ここはそもそも黒羊の毒を吐き出す場所として、生まれました。 とりあえず、毒がいろんな方向に飛んでいきます。反日との戦いは継続中ですが、反日とは何かをまずおいおい研究していかなければなりません。少なくとも、日本の"サヨク"は、日本のためなんて考えていないと思います。 憲法9条は欺瞞だと思っており、実装に合わせて仕様を変更すべきだと思っています。 でも政治的や社会的な問題より、まず現実生活の問題点が多いですね。ということでよろしくお願いします。
■黒羊のお勧め




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【正論】秦郁彦 東条宰相「復権」は慎重に判断を
 ■天皇の信任、前半厚く後半逆転
 ≪むずかしい歴史的な評価≫
 「(歴史認識は)後世の歴史家に委ねる」という安倍新首相の「あいまい戦略」は野党やマスコミには不評らしいが、私はこの戦略に賛成だ。願わくば、中韓をふくめどの国の首脳も同じ方針をとってもらいたいと思う。
 では歴史家たちの甲論乙駁(おつばく)に任せたら統一見解や総括が期待できるかとなると、その保証はない。明治維新の性格とか第一次世界大戦の原因論でさえ定説が固まったとは言えないから、第二次大戦の責任論はなおさらのこと。
 事実より党派性を先行させる声高な歴史家が少なくないから、歴史論争はいっこうに噛みあわない。残念ながらこの前の戦争を総括できる環境は整っていないので、首相が後世のと条件をつけるのもやむをえないだろう。
 人物論となればなおさらで、棺を閉じて100年が過ぎても評価の定まらぬ例は珍しくない。では戦時下の宰相で、A級戦犯の筆頭だった東条英機の評判はどうか。
 終戦時、私は13歳の少年にすぎなかったが、東条に向けられた国民の怒りはまざまざと覚えている。その軸になっていたのは、東条陸相の名で伝達された「戦陣訓」が「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」を強調したため軍民の大量死を招いたにもかかわらず、本人は自決に失敗して、捕らえた米兵の輸血で蘇生したことへの反発だった。
 ≪当初は国民の高い人気も≫
 東京裁判に臨んだ彼の堂々たる国家弁護ぶりはそれなりに評価されたが、「名誉回復」には至らぬままにすぎてきた。ところが、ここ数年とくに昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に「不快感」を示したとされる富田メモの出現を契機に、東条の「復権」をめざす動きが出ている。
 そのさいに引用されるのが「東条は一生懸命仕事をやるし、平素言ってゐることも思慮周密で中々良い処があった」(『天皇独白録』)とか「彼程朕の意見を直ちに実行したものはない」(木下侍従次長の『側近日誌』)のような終戦直後の天皇発言である。つまり東条を高く買っていた昭和天皇が、A級合祀に異議を唱えるはずはないというのだ。
 しかし引用個所の前後には「憲兵を余りに使ひ過ぎた」とか「(東条を)弁護しようと云ふのではない」という発言もあるのを見落としてはならない。あくまで条件付きの評価なのだ。
 昭和天皇の人物評価は辛口調とはいえ、公平さという点には定評がある。東条の場合も、「グズ元」とか「ぐったり大将」と呼ばれた杉山元参謀総長と永野修身軍令部総長に比べ能吏ぶりが光ったともいえる。概して政権の前半は天皇の信任も厚く国民にも好評だったが、後半は逆転したとみてよいだろう。
 サイパン失陥を機に和平派の重臣が倒閣に動き、岸信介国務大臣が憲兵の脅迫にもかかわらず辞表提出を拒否したため、3年近くつづいた東条内閣は瓦解した。東条は天皇からも見放されていたのを知りつつ、なおもしがみつこうとしたが、側近が進言したクーデター構想にはさすがに乗らなかった。
 ≪不信から「誤解」生まれた≫
 半年後、和平を模索しはじめた昭和天皇は個別に重臣を呼んで収拾策を尋ねたが、東条は「陛下の赤子(せきし)なお一人の餓死者ありたるを聞かず」と開き直り、戦局は「今のところ五分五分」だとして、徹底抗戦を主張した。侍立した藤田尚徳侍従長は「陛下の御表情にもありありと御不満の模様」と記録している。
 終戦はそれから半年後のことだが、ガダルカナル、ニューギニア、レイテ、インパール戦など戦陣に倒れた約230万の兵士のうち、広義の餓死者は私の試算で60万に達する。内外の戦史に類を見ない高比率だ。天皇が不満どころか、不信の思いをつのらせたとしてもふしぎはない。
 終戦直後の1945年9月27日、昭和天皇は占領軍総司令官マッカーサー元帥と会見した。アチソン政治顧問の公電によると、天皇は「開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのはまったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからだ」と述べながらも「しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない」としめくくった。
 事前通告をやるようにと念押ししていたのに、「だまし討ち」になってしまったのは、実は事務上の手落ちだったのだが、天皇には報告されていなかった。東条への積もる不信のなかで、この「誤解」が生まれたのも無理はない。
 つけくわえると、天皇を訴追しないという連合国の方針は東京裁判の開廷(46年5月)前に確定していた。(はた いくひこ=現代史家)
<産経新聞>


今回の予算委員会は、首相の歴史認識を、野党がよってたかって問いただすと言う異常な状態で、一国民の私も、野党の質の低さに辟易したのであります。
さて上の記事ですが、南京事件等の考察で有名な秦郁彦氏の話です。
読んでいてふと思ったんですが、歴史家は、ある確定的且つ絶対的な歴史認識を持つことはないのではないでしょうか?
古代の中国で、史官が置かれました。彼らの仕事は、君主の言葉を一字一句漏らさず記録することであります。
つまり一次情報の積み重ねのみですね。
歴史家の仕事は、おそらく、事実のみをそのまま記載するだけで、あれが正しかった、あれは悪かったということは判断しないと思います。
判断するのは、当時であれば君主であり、今であれば、民であります。
周の武王が亡くなり、子の成王が継いだわけですが、ある時弟の叔虞と遊びました。庭の木の枝を使って「これを持ってお前を封じよう。」と封建の儀式の真似事をしたのですが、このことを史官は記録しており、宰相が、成王にどちらの地に封じますかと聞くので成王はあわてて、「私はあれと遊んでいただけだ」と言いました。それに対し、「天子に戯言無しです。王が一度発した言葉は覆す事はできません。」と宰相はいい、叔虞を唐の地に封じることになりました。
これを見ると、史官の仕事と言うのは、一次情報を正確に記録するだけです。すなわち歴史認識は、歴史家も委ねられてもどうしようもないのではないかと思うのですが?
東条さんの件にしても天皇が、信任していたか、信任していなかったか、それってそんなに重要なんですかね?東条さんについて問題になっているのは、戦犯であることですが、国内法では戦犯ではないわけで(裁判をしていないです)、こと復権に関しては、天皇でも首相でも歴史家でもなく、国民が決めるべきことでしょう。
ちなみに、大戦の責任を東条さん、他A級戦犯にされた方々だけに押し付けるのは、おかしいと私は思います。
朝日新聞などのメディアの責任もすごく大きいし、それに煽られた愚民、つまり我々の責任も大きいです。この事を考えると、東条さんは私達愚民の代わりに従容として死刑に服したのであり、私達はむしろ感謝すべきではないでしょうか?
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安倍氏「女系天皇容認、見直しも」 旧宮家復活など

 安倍晋三官房長官は15日午後、女系、女性天皇を容認する「皇室典範に関する有識者会議」の最終報告に基づく皇室典範改正作業の見直しもあり得るとの認識を表明した。フジテレビの番組収録で語った。
 安倍氏は父方に天皇を持つ男系の女性天皇について「今までも(皇位の継承は)あった」と容認する姿勢を示した上で、その子供である女系天皇に関しては「ずっと男系できた伝統をすぐに変えるのかどうか慎重になるのは当然だ」と述べ、男系維持が望ましいとの考えを強調した。
 男系維持の具体的方法については、旧宮家の復活や旧皇族による現宮家の継承などを挙げた。from iZa


チャンネルを間違えて、日本テレビを見てしまい、太田の頭の悪い発言にむかつきました。いやシンクロ見ようとつけたら日本テレビだったんですけどね。

さて、安倍氏、期待通りの発言をした。

「ずっと男系できた伝統をすぐに変えるのかどうか慎重になるのは当然だ」


女性天皇の容認、女系天皇には慎重、当然だと思います。2600年に渡る伝統を簡単に変えるべきではありません。
日本の歴史を考えると、日本を象徴するのはやはり天皇だと思います。
天皇は日本人にとって、良心であると思います。
日本人は今まで、時代を天皇と共に歩み、これからも歩んでいくべきだと思います。そして私は共に歩んで行きたいと思います。
また、日本という国は天皇と共にあり、これからもずっと・・・・。
長く続けることは難しいことです。天皇家もその歴史の中で、何度か危機を迎えることがありました。
足利義満は、天皇に取って代わることを目指し、織田信長もまた。
そして敗戦。
この偉大なる歴史をもつ天皇家を尊重することは、これまでも尊重してきた、過去の日本人の歴史を尊重することを意味するのではないかと私は思います。日本人の日本人たる所以ではないでしょうか?
千代に八千代に・・・・・。

皇室典範改正の問題が先送りされそうだ。
だがちょっと待ってほしい。次代が確約されたとはいえ、その後同じようなことは起こりうるかもしれない。
勝手に女系天皇制に変えるだの言い出す者が沸く前に、今こそ話し合うべきではないだろうか?
旧皇族の復帰は検討してもいいと思う。ちなみに私は女性天皇は容認する。ただし女系は一切の容認はしません。

男子誕生にあたり、雅子様の胸中はいかようでしょうか?プレッシャーから解放されたでしょうか?胸中は複雑かもしれません。
我々国民が雅子様をやさしく、暖かく包み込むべきだと思います。
いずれにせよ、皇后となられるお方ですから、これからは公務として、どんどん外遊なさって、得意の語学を生かしていただきたい。日本と諸外国との友好の架け橋となられる器だと思っております。

何はともあれ、ひとまず、お祝いの空気を胸いっぱいに吸い込みたいと思います。
日本万歳!!

紀子さま、男児ご出産
 秋篠宮妃紀子さま(39)は6日午前8時27分、入院先の総合母子保健センター「愛育病院」(東京・南麻布)で帝王切開手術を受け、男のお子さまを出産された。
 皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。男子の誕生は1965年11月の秋篠宮さま以来41年ぶりとなる。
 宮内庁によると、お子さまは身長48・8センチ、体重は2558グラムで、母子ともにお健やかという。
 紀子さまの帝王切開手術は午前9時7分に無事終了し、病室に戻られた。
 紀子さまは胎盤が子宮口の一部を覆う「部分前置胎盤」で、早期出血が心配されたことから8月16日にご入院。胎児が十分に発育する妊娠37週目を待って、この日に帝王切開手術を受けられた。手術は主治医の中林正雄・同病院院長が執刀し、麻酔科や小児科の医師ら12人体制で行われた。


めでたい話です。おそらくご懐妊のニュースが出た頃には男子とわかっておられたのであろうとは思いますが、非常にめでたいと思います。
皇室典範の問題がありましたが、女系天皇容認は完全に棚上げになるのでよかったです。
こういうのを本当の意味で風と呼ぶのではないでしょうか?天皇の歴史を断絶させまいと八百万のも力を貸してくれたのかもしれません。
個人的には天皇家としての伝統と文化を世界遺産に登録したい気分です。今回の新宮様御生誕は、日本社会の明るい未来を暗示しているのではないかと思い、我々もますますこれからの日本を考えていかねばと新たな決意を胸に、頑張りたいと思います。
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