主張すべきことは主張する、いつでも毅然とそして礼節を忘れない国へ

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ご挨拶
■礼の宇宙について
タイトルは宮城谷昌光さんの小説「子産」の中から頂きました。
礼とは、宇宙の原理、原則だと考えて頂いてよろしいかと思います。
しかし礼の深淵の地にたどり着くのは非常に難しいものですね
■このブログで語られること
ここはそもそも黒羊の毒を吐き出す場所として、生まれました。 とりあえず、毒がいろんな方向に飛んでいきます。反日との戦いは継続中ですが、反日とは何かをまずおいおい研究していかなければなりません。少なくとも、日本の"サヨク"は、日本のためなんて考えていないと思います。 憲法9条は欺瞞だと思っており、実装に合わせて仕様を変更すべきだと思っています。 でも政治的や社会的な問題より、まず現実生活の問題点が多いですね。ということでよろしくお願いします。
■黒羊のお勧め




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声の大きい者は、中身が空っぽである。
でも社会では声の大きい者が、評価される。
それは評価する側に具眼の士がいないからであろう。黙々と決められた職務を遂行し、淡々とその任を全うした者に対して、社会は余りに冷たいことが多い。

(荘子)介子推至忠也,自割其股以食文公文公後背之,子推怒而去,抱木而燔死。


介子推は至忠なり、自らそのももを割いて以って文公に食べさせた。文公は後に背き、介子推は怒って去った、そして樹を抱いて焼け死んだ。
春秋時代の故事である。文公とは文公重耳であり、覇者となった人である。
文公が背いたとはどういうことだろうか?

(史記)文公元年春,秦送重耳至河。咎犯曰:「臣從君周旋天下,過亦多矣。臣猶知之,況於君乎?請從此去矣。」重耳曰:「若反國,所不與子犯共者,河伯視之!」
乃投璧河中,以與子犯盟。是時介子推從,在船中,乃笑曰:「天實開公子,而子犯以為己功而要市於君,固足羞也。吾不忍與同位。」乃自隱渡河。秦兵圍令狐,晉軍於廬柳。二月辛丑,咎犯與秦晉大夫盟於郇。壬寅,重耳入於晉師。丙午,入於曲沃。

文公元年春、秦は重耳を黄河まで送った。咎犯は「私は君に従って天下を巡り、過ちが多かった。私もこのことは分かっています。ましては君ならなおさらでしょう。ここで去ることをお許し願いたい」と言った。重耳は「何ということを・・・。帰国後も貴方を重用することを誓おう。河の神御覧あれ」と壁を黄河に投げ入れ、咎犯と誓った。この時介子推は船の中で笑って言った。「公子の運を開いたのは、天であるのに、咎犯は、己の功として、君に報酬を要求した。これは固より恥ずべき事だ。私は彼と共にあることには堪えられない。」介子推は身を隠して入国した。その後は訳を省略。

文公修政,施惠百姓。賞從亡者及功臣,大者封邑,小者尊爵。未盡行賞,周襄王以弟帶難出居鄭地,來告急晉。晉初定,欲發兵,恐他亂起,是以賞從亡未至隱者介子推。推亦不言祿,祿亦不及。推曰:「獻公子九人,唯君在矣。惠、懷無親,外内□之;天未絶晉,必將有主,主晉祀者,非君而誰?天實開之,二三子以為己力,不亦誣乎?竊人之財,猶曰是盜,況貪天之功以為己力乎?
下冒其罪,上賞其奸,上下相蒙,難與處矣!」其母曰:「盍亦求之,以死誰対?」推曰:「尤而效之,罪有甚焉。且出怨言,不食其祿。」母曰:「亦使知之,若何?」對曰:「言,身之文也;身欲隱,安用文之?文之,是求顯也。」
其母曰:「能如此乎?與女偕隱。」至死不復見。
介子推從者憐之,乃懸書宮門曰:「龍欲上天,五蛇為輔。龍已升雲,四蛇各入其宇,一蛇獨怨,終不見處所。」文公出,見其書,曰:「此介子推也。吾方憂王室,未圖其功。」使人召之,則亡。遂求所在,聞其入撓上山中,於是文公環撓上山中而封之,以為介推田,號曰介山,「以記吾過,且旌善人」。


文公が即位し、政治を始めると共に論功行賞が行われた。介子推は、論功行賞の対象に入らなかったが、禄について介子推は言及せず、禄も介子推に与えられなかった。
「献公の子は9人いて、今は君を残すのみとなった。天はを絶えさせず、必ず主がおり、の祀の主は、君ではなければ誰であろうか?天が運を開いたのに、二三の者が、己が功とする、偽りでは無いと言うのか?人の財を盗むのを盗人と言うが、天の功を盗むものは何と呼ぶのだろうか?下はその罪を冒し、上はその奸を賞す。上下が騙しあう、共にいるのは難しい。」と介子推は嘆いた。介子推の母親が言った。「功を明らかにすればいいのでは?死を以って誰に答えるのですか?」
介子推は答えた。「このことを知っててそれをするのはさらに罪が重い。さらには恨み言まで言って、その禄を食むことはできない。」母親は言った。「このことを知らしめればいいではないですか?」介子推は言った。「言葉は身の文(飾り)である。身を隠したいと思う。どうしてこれを飾る必要があるだろうか?これを飾ることは、明らかにすることを求めていることになる。」
母親は「では皆で隠れましょう。」といい、死ぬまで現れなかった。
介子推の従者が、これを哀れみ、宮門に書をかけた。
「龍は天に上ろうとして、五蛇はこれを輔ける。龍はすでに雲に升り、四蛇はそれぞれその所を得たり。一蛇は怨みを抱き、居所は不明なり。」
以後の訳は省略。
功あって功を誇らない者が報われなければ、中身の無い人間だけが、世にあふれるだろう。

私は、介子推に笑われるだろう、お前は天の功を盗むものだと。
人の上に立つ者は須らく目が良くなければならない。
おそらくその功績の背後には、功を誇らない者がいるのだから。

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孟子の「性善」

告子曰、
「性猶湍水也。
決諸東方、則東流、
決諸西方、則西流。
人性之無分於善不善也、
猶水之無分於東西也。」
孟子曰、
「水信無分於東西、無分於上下乎。
人性之善也、猶水之就下也。
人無有不善、水無有不下。
今夫水、搏而躍之、可使過顙、
激而行之、可使在山。
是豈水之性哉。
其勢則然也。
人之可使為不善、其性亦猶是也。」


荀子の「性悪」

人之性悪。
其善者偽也。
今、人之性、生而有好利焉。
順是、故争奪生而辞譲亡焉。
生而有疾悪焉。
順是、故残賊生而忠信亡焉。
生而有耳目之欲、有好声色焉。
順是、故淫乱生而義・文理亡焉。
然則従人之性、順人之情、
必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。
故必将有師法之化、義之道、
然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
用此観之、然則人之性悪明矣。
其善者偽也。


とりあえずメモとして置いておきます。
ちなみに私は性善説を取りますと言ったところで、法治国家に存在しているのであれば、性悪説です。
荀子は、儒家ですが、弟子に韓非や李斯などの法家がおります。どういうことかと言いますと、孟子は、性善説を唱え、後天的努力なし、人はを志して学問をするだろうと言い、それに対し、荀子は、人の性は悪(欲望)だから、放っておいては、欲望のままになってしまう。だから学問してを志せと言う意味(物凄く簡単に言っちゃってますが本当はもっともっと深遠です。)であるため、実は性善説も、性悪説も、相対関係ではないです。
で法家は、荀子から学び取り、何をしたかと言うと「法を以ってを補う」という考えを持ったわけです。つまり、儒家は法は無用、放っておいても人はに従うとしたのに対し、法家は、荀子の性悪説を盾に、法を以って補わなければ、礼に従わないと言うことを説いた。
秦の始皇帝は、韓非からそれを学んだわけであり、李斯はそれを実践したわけであります。
秦で律令体制の基礎を作ったのは、商鞅(荀子より前です。)であり、彼は貴族政治に一石を投じ、改革を断行します。しかし厳しくしすぎたため、また貴族の不満が爆発したため、志半ばで車裂きの刑で処刑されました。
それより前を辿ると、管仲や呉起が挙げられます。呉起の悲劇は、また商鞅と同じです。
管仲に関しては、「衣食足りて礼節を知る」の名文句でお馴染みであり、春秋時代最高の政治家と名高いです。ただし、孔子は、管仲の政治的な手腕は、認めているものの全体としては評価していません。
さらにその前に法家と位置づけるかどうかは難しいのですが、子産がいます。孔子が絶賛した人です。彼は、成文法を初めて行ったと言われる人です。しかし孔子は、管仲や、子産よりもっと鮑叔や子皮を褒めてます。何故か。「賢を薦めた」からです。
鮑叔は、管仲を斉の桓公に薦め、子皮は、子産を全面的にサポートし、その政治を成功させたからです。
話が大分逸れました。
歴史の中の思想としての法は、中国では子産から、明らかになったわけです。実際は法はあったのですが、貴族の頭の中にあったわけです。
思想として、徳治の意味に当たるわけですが、暗黙の了解で、破ってはいけない規則はちゃんと認識しとけということだったんです。
なので今徳治国家はないです。つまり、性悪説が性善説より合理性があったからでしょう。

人の性は悪にして、其の善なる者は偽なり。今、人の性は、生まれながらにして利を好む有り。是に順う、故に争奪の生じて辞譲は亡ぶ。生まれながらにして疾(=嫉)悪有り。是に順う、故に残賊の生じて忠信は亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。是に順う、故に淫乱の生じて礼義文理は亡ぶ。然らば則ち人の性に従い、人の情に順えば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有り、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰さん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかならん。其の善なる者は偽(=人為)なり。


この前は、孟子の性善説の基礎の部分をとりあげましたが、今回は荀子の性悪編について少し。哲学と言うと身構える方も多いですが、実際に呼んでみるとそんなに難しいことはないです。しかも中国の古代哲学日本人の思想の中に息づいてるので理解しやすいかと思います。
書物としての「荀子」は20巻からなります。以下の書き出しで始まるので有名です。

青取之於藍
而青於藍
冰水爲之
而寒於水


青は之藍より取りて、藍より青し
氷は水より之を為し、水より寒し
書き下し文を書けば、お分かりかと思います。
さて本題の性悪説ですが、荀子「性悪編」第二十六節より上記に引用しました。一行目から刺激的な表現ですが、人の本性は悪であり、善というものは、偽(後天的に作られる)ものである。この場合の悪は、現代日本語の「悪」とは異なっており、荀子は「人間には欲があり、その欲には際限がない」、その「際限ない欲を満たそうとすること」を悪と表現している。
人間は、そのままにしていたら、欲望のままになってしまう。それを悪と呼び、後天的な努力で分をわきまえると言うことを知る。その後天的努力とは学問である。学問をすることによって分をわきまえることを知るというのが性悪説の概要です。
つまり性善説と性悪説は、まるっきり正反対ではないのです。孟子は、人間は生まれもって、四端をもっており、それを発展させなければならないと訴えており、荀子は、人間はそのまま放置すれば、欲望のままになってしまうので学問をすることで、矯正すべきだと言っているのです。
ここには何があるかというと学校の意味が書かれていると言ってもいいかと思います。実は孟子も、四端を発展させるために、教育の必要性を訴えているのです。
ところで、荀子のこの考え方は法家によって引き継がれていきます。礼を補うものとしての法の考え方です。韓非子や李斯が荀子の弟子です。
教育基本法の改革には、まず学問とは何か、教育とは何かを徹底的に見直すべきだと私は考えます。

孟子曰、人皆有不忍人之心、先王有不忍人之心、斯有不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上、所以謂人皆有不忍之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有惻隱之心、非所以内交於孺子之父母也、非所以要譽於郷黨朋友也、非惡其聲而然也、由是觀之、無惻隱之心、非人也、無羞惡之心、非人也、無辭讓之心、非人也、無是非之心、非人也、惻隱之心、仁之端也、羞惡之心、義之端也、辭讓之心、禮之端也、是非之心、智之端也、人之有是四端也、猶其有四體也、有是四端而自謂不能者、自賊者也、謂其君不能者、賊其君者也、凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始逹、苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足事父母。


公孫丑章句上の一節を引用しました。
まあ何かと言うと「仁」と言う概念について言及されています。性善説の基礎の部分の説明です。
仁と言うものは惻隠の心に発する。では惻隠とは何かというと、簡単に言うと、かわいそうだと思うことであり、例文として、目の前で子供が井戸に落ちそうな瞬間にかわいそうだ、助けなければと思う心であり、その時に、その子の父母に取り入ろうとか、地元の英雄になろうとか、見殺しにした悪名を負いたくないとか考えないということが書いてあります。
このため、惻隠の心がないのは人に非ずとなっています。
同じように羞悪(悪を羞じる)の心がない、辞譲(人にへりくだる)の心がないない、是非(善悪を判断する)の心がないのも人に非ず。
仁とは惻隠の心に始まり、義とは羞悪の心に始まり、礼とは辞譲の心に始まり、智とは是非の心に始まる。
ここでいう礼とは、儀のことであります。本来の礼の意味は、子産の説明のところでも書いたように、もっと深遠なるものです。
続けます、この四端(始まり)があるのに、仁義礼智の道を行えないのは、自分を貶める者であり、君主に仁義礼智の道を行えないのは、君主を貶めるものだ。
四端を発展させていけば火が燃え広がるように、新しい泉から水が噴出するようにその道をずっと奥へ奥へと進んでいき、やがて天下を安んじることができる。発展させることが出来なければ、父母に仕えることすらできない。
と結ばれています。
哲学となるとうっと身構えるかもしれませんが、案外身近なものです。
「私は性善説だ」とか言う人もいらっしゃいますが、要するに、仁義礼智の端は生まれもって全ての人に備わっているということですね。

今回はまず、礼の宇宙へのアプローチとして、孟子の一節を紹介しました。次回は、性悪説について荀子を引っ張る予定です。
まずは皇孫殿下御誕生 に対する反日ブログの感想集(5)にて静流さんが、紹介している、「愛を知らなければ」というブログの「ある兄弟の会話(300エントリー記念作品 笑)」を見てもらいたいです。(血圧の高い方や、精神的に弱ってる方は見ない方がいいとは思います。)
簡単に説明すると、紀子さまのご出産について、見るに耐えない、下品な表現で書いてます。(静流さん自身も、引用する気になれないといってますが、それほど下品です。)
本人曰く「あの記事は風刺を込めた作品なの。」らしいですが、風刺というか本人の品の無さがそのまま現れているだけのようです。何を風刺したのかわかりません。[私は人でなしです]と自己紹介しているようです。
さらに止せばいいのに、静流さんの当該記事にTBを飛ばし、反論のつもりなのか罵倒しています。
それに対し、静流さんが「フクハラの馬鹿が生意気にもグチこぼす(笑)」により、あなたは反論になってませんよと優しく?指摘してやってるにも拘らず、何故か、更なる罵倒のTBを飛ばす始末。

てめえが悪口書いている人の中に「本物」がいて、てめえがバールで頭かち割られねえように注意するこったな。

と脅迫とも取れる一文まであります。
十分人間でないことがわかったので、もうこれ以上アクション起こさないでおとなしく、ご自分の人間ではない主張を繰り返せばいいと思います。
人格が破綻しているので、もう左翼とか反日とかの少なくとも人間というレベルではないですね。
元となる記事にしても皇室の方が、そういう名誉毀損の記事に対して反論したり、逆襲したりすることがありえないという前提で書いてあるのがありありとわかります。
こういう生き物が、政治がどうだ、9条がどうだ、安倍がどうだと言っても丸っきり説得力がないかと思います。お仲間の人も扱いに困るんじゃないですかね?
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