主張すべきことは主張する、いつでも毅然とそして礼節を忘れない国へ

2017/09123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/11

ご挨拶
■礼の宇宙について
タイトルは宮城谷昌光さんの小説「子産」の中から頂きました。
礼とは、宇宙の原理、原則だと考えて頂いてよろしいかと思います。
しかし礼の深淵の地にたどり着くのは非常に難しいものですね
■このブログで語られること
ここはそもそも黒羊の毒を吐き出す場所として、生まれました。 とりあえず、毒がいろんな方向に飛んでいきます。反日との戦いは継続中ですが、反日とは何かをまずおいおい研究していかなければなりません。少なくとも、日本の"サヨク"は、日本のためなんて考えていないと思います。 憲法9条は欺瞞だと思っており、実装に合わせて仕様を変更すべきだと思っています。 でも政治的や社会的な問題より、まず現実生活の問題点が多いですね。ということでよろしくお願いします。
■黒羊のお勧め




↑置いてみました。ぽちっとやってみて下さい。
オヤシロさまドットコム─テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に解」公式サイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

二柄第七
  明主之所導制其臣者,二柄而已矣。二柄者,刑、也。何謂刑?曰:殺戮之謂刑,慶賞之謂。為人臣者畏誅罰而利慶賞,故人主自用其刑,則群臣畏其威而歸其利矣。故世之姦臣則不然,所惡則能得之其主而罪之,所愛則能得之其主而賞之。今人主非使賞罰之威利出於己也,聽其臣而行其賞罰,則一國之人皆畏其臣而易其君,歸其臣而去其君矣,此人主失刑之患也。夫虎之所以能服狗者、爪牙也,使虎釋其爪牙而使狗用之,則虎反服於狗矣。人主者、以刑制臣者也,今君人者、釋其刑而使臣用之,則君反制於臣矣。故田常上請爵祿而行之群臣,下大斗斛而施於百姓,此簡公失而田常用之也,故簡公見弑。子罕謂宋君曰:『夫慶賞賜予者,民之所喜也,君自行之;殺戮刑罰者,民之所惡也,臣請當
之。』於是宋君失刑而子罕用之,故宋君見劫。田常徒用而簡公弑、子罕徒用刑而宋君劫。故今世為人臣者兼刑而用之,則是世主之危甚於簡公、宋君也。故劫殺擁蔽之主,非失刑而使臣用之而不危亡者,則未嘗有也。
  人主將欲禁姦,則審合刑名者,言異事也。為人臣者陳而言,君以其言授之事,專以其事責其功。功當其事,事當其言,則賞;功不當其事,事不當其言,則罰。故群臣其言大而功小者則罰,非罰小功也,罰功不當名也。群臣其言小而功大者亦罰,非不説於大功也,以為不當名也害甚於有大功,故罰。昔者韓昭侯醉而寢,典冠者見君之寒也,故加衣於君之,覺寢而説,問左右曰:『誰加衣者?』左右對曰:『典冠。』君因兼罪典衣與典冠。其罪典衣、以為失其事也,其罪典冠、以為越其職也。非不惡寒也,以為侵官之害甚於寒。故明主之畜臣,臣不得越官而有功,不得陳言而不當。越官則死,不當則罪,守業其官所言者貞也,則群臣不得朋黨相為矣。  人主有二患:任賢,則臣將乘於賢以劫其君;妄舉,則事沮不勝。故人主好賢,則群臣飾行以要君欲,則是群臣之情不效;群臣之情不效,則人主無以異其臣矣。故越王好勇,而民多輕死;楚靈王好細腰,而國中多餓人;齊桓公妬而好内,故豎チョウ自宮以治,桓公好味内,易牙蒸其子首而進之;燕子會好賢,故子之明不受國。故君見惡則群臣匿端,君見好則群臣誣能。人主欲見,則群臣之情態得其資矣。故子之託於賢以奪其君者也,豎チョウ、易牙因君之欲以侵其君者也,其卒子會以亂死,桓公蟲流出戸而不葬。此其故何也?人君以情借臣之患也。人臣之情非必能愛其君也,為重利之故也。今人主不掩其情,不匿其端,而使人臣有以侵其主,則群臣為子之、田常不難矣。故曰:去好去惡,縁群臣見素。群臣見素,則大君不蔽矣。

面倒くさいので全文訳はしません。公において人にはそれぞれ職責職分というものがあります。法治において、その職責を侵すということは即ち法を曲げると言うことです。
『昔、韓の昭侯が、酔って寝てしまった。冠の担当官が、寒かろうと昭侯に服をかけました。そこで、典冠の者は、昭侯の上に衣をかけた。
昭侯は目が覚めて、衣がかけられているので喜び、左右の者に聞いた、「誰が衣をかけてくれたのか。」左右の者は答えた、「冠の担当官です。」そのため、昭侯は衣服の担当官と冠の担当官を、二人とも罰した。衣服の担当官を罰したのは、その職責を全うしていないと考えたからである。冠の担当官を罰したのは、職権を越えていると考えたからである。
寒さを嫌だったわけではない。他者の職務を侵すことの害は、寒さのそれよりも重く見るべきだと考えたのである。故に、明主が臣下を召し抱えるときは、臣下は職権を越えて功績を挙げることはできず、自分の能力について言った時は、その通りの結果を残さなければならない。
職権を越えれば死刑となり、自分の能力について言い、その通りの結果を残せなければ罰せられる。仕事を職権の範囲にとどめ、発言に忠実であれば、群臣は徒党を組んで君主を欺くようなことは無い。』
人は公において、その職責を全うし、その職分を守ることが重要であり、職分を越えて職務を行うことがまかり通るならば、取り返しのつかない失敗を犯すことになるだろう。
韓非子における帝王学は、現代でも十分通用する思想である。但し、その韓非は、投獄され、服毒自殺し、それを、学んだ秦は数十年で滅び、その思想をもっとも理解していたはずの李斯は、拷問を受け殺されたことも忘れてはならない。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。