そもそも政治と宗教を厳密に切り離すことは可能だろうか?
言葉から考えると政治はつまり政であり、政はまつりごとと読み、古代の中国では祭祀を司ることであった。
つまり極めて宗教である。これはおそらくどこの世界でも同じであろう。
例えば、アメリカの政教分離はあくまで、キリスト教の数ある宗派の中の特定の宗派を優遇しないということである。
では日本はどうなのか?
日本では古来自然崇拝の形があった。
その中で太陽信仰というのがある。その発展した形が天照大神であり、神道である。またそれとは別に仏教の思想というのも日本には根付いた。神道も、仏教も多神教であり、決して排他主義ではないため、どちらも受け入れることができる。
その歴史が続いた今でも日本人は、元旦に初詣に行く。神社にもお寺にも。これはもう伝統と習慣である。
日本の神社の中には歴史的な人物が神として祭られることが多々ある。
菅原道真公は、天神様として、天満宮に祭られる。
将門神社や、松蔭神社などもある。
これらをお参りするのは、伝統である。
神道や仏教と言うのは、日本人にとって、伝統と文化に根付いたものであるので、靖国神社に参拝するのも当然同じ部類に入る。
例えば、会社のビルの屋上にお稲荷さんがまつられていたりする。お稲荷さんが商売繁盛の神様であるからである。
日本人はゲンを担ぐ。これも伝統と文化である。日本の首相が、ゲン担ぎで髪を切らないことにしています、と言ったところで、誰も政教分離に反するとは言わないでしょう。
宗教、政治だけでなく、全ての事柄で考えると言うことは哲学につながると友人から教わりました。というより考えることがすでに哲学ということでしょうか?
たまには皆さんも宗教と政治について考えてみませんか?
キリスト教の教会や新興宗教の施設には、一般人は、なかなか気軽に立ち寄れるものではありません。
>日本人はゲンを担ぐ。これも伝統と文化である。日本の首相が、ゲン担ぎで髪を切らないことにしています、と言ったところで、誰も政教分離に反するとは言わないでしょう。
まったくその通りです(笑)。
政治って文字も使っちゃいけなくなってしまいます。
共産主義は?って質問もあるかもしれませんが、結局あれもカルトに近い全体主義の宗教ですよね。
個人的に平等を求める、共産主義って考え方自体はいいと思いますよ。それはそれで。でも無理なんですよね。人の命は平等ですが、能力や環境は不平等なんで、それを無理矢理変えるというのは、悪平等にしかなりませんからね。
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