主張すべきことは主張する、いつでも毅然とそして礼節を忘れない国へ

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人の性は悪にして、其の善なる者は偽なり。今、人の性は、生まれながらにして利を好む有り。是に順う、故に争奪の生じて辞譲は亡ぶ。生まれながらにして疾(=嫉)悪有り。是に順う、故に残賊の生じて忠信は亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。是に順う、故に淫乱の生じて礼義文理は亡ぶ。然らば則ち人の性に従い、人の情に順えば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有り、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰さん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかならん。其の善なる者は偽(=人為)なり。


この前は、孟子の性善説の基礎の部分をとりあげましたが、今回は荀子の性悪編について少し。哲学と言うと身構える方も多いですが、実際に呼んでみるとそんなに難しいことはないです。しかも中国の古代哲学日本人の思想の中に息づいてるので理解しやすいかと思います。
書物としての「荀子」は20巻からなります。以下の書き出しで始まるので有名です。

青取之於藍
而青於藍
冰水爲之
而寒於水


青は之藍より取りて、藍より青し
氷は水より之を為し、水より寒し
書き下し文を書けば、お分かりかと思います。
さて本題の性悪説ですが、荀子「性悪編」第二十六節より上記に引用しました。一行目から刺激的な表現ですが、人の本性は悪であり、善というものは、偽(後天的に作られる)ものである。この場合の悪は、現代日本語の「悪」とは異なっており、荀子は「人間には欲があり、その欲には際限がない」、その「際限ない欲を満たそうとすること」を悪と表現している。
人間は、そのままにしていたら、欲望のままになってしまう。それを悪と呼び、後天的な努力で分をわきまえると言うことを知る。その後天的努力とは学問である。学問をすることによって分をわきまえることを知るというのが性悪説の概要です。
つまり性善説と性悪説は、まるっきり正反対ではないのです。孟子は、人間は生まれもって、四端をもっており、それを発展させなければならないと訴えており、荀子は、人間はそのまま放置すれば、欲望のままになってしまうので学問をすることで、矯正すべきだと言っているのです。
ここには何があるかというと学校の意味が書かれていると言ってもいいかと思います。実は孟子も、四端を発展させるために、教育の必要性を訴えているのです。
ところで、荀子のこの考え方は法家によって引き継がれていきます。礼を補うものとしての法の考え方です。韓非子や李斯が荀子の弟子です。
教育基本法の改革には、まず学問とは何か、教育とは何かを徹底的に見直すべきだと私は考えます。
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コメント
この記事へのコメント
自分では「性善説派」だと思っていましたが、こういうふうに「性悪説」を解説いただくと、確かに頷ける点も多く、少し混乱してしまいます(苦笑)。そのため、コメントするのが遅くなりました。

>つまり性善説と性悪説は、まるっきり正反対ではないのです。

その通りですね。
よい勉強になりました。
ありがとうございました(礼)。
2006/09/22(金) 14:30 | URL | おしょう #-[ 編集]
おしょうさん
私は簡単に説明してしまっているので、混乱したかと思います。本当はもっと複雑なんですが・・・。
学問と教育の理由というのは教育基本法に欠かせないもので、教育の中では私は、道徳と倫理が最重要課題だと思っています。昔の人が、孝行や、長幼の序などを、大切にしてたのにも、正当な理由があったんです。
2006/09/22(金) 15:35 | URL | 黒羊 #-[ 編集]
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